論理的であれば正しいか

このブログでは、一応は、論理的に考察された記事を書くことを目指しています。

免責(言い訳)として、「論理的」に展開された結論の正確性について触れておきます。

話が論理的であっても、その結論は必ず正しいわけではない。

ポイントは3つ

  • 論理展開は公理(系)からスタートする。
  • 仮定が偽なら、結論は結論は真。
  • 生活における公理(系)は、個人(社会)の価値観による場合がある。

この3つにより、話の展開が論理的であっても結論が誤りとなる場合があることがわかります。

 

イマイチな例と思いつつも、例を挙げます。

「24時間戦えますか」なんてフレーズが以前流行りましたが、このフレーズ、現在においては不適切と叩かれていまいそうです。これは、当時が論理的でなかったわけではなく、価値観(公理)が変わったことに他なりません。価値観(公理)が異なれば、そこから導き出される結論は違ってくるのです。つまり、価値観自体が間違っていれば(不適切であれば)、いくら論理的に話を展開しても得られる結論は正しいと言えない場合があるのです。

 

 1990年頃

 仕事を頑張るほど立派(価値観、公理)→24時間戦えますかのフレーズが流行る

 2020年頃

 ライフワークバランス(価値観、公理)→働き方改革

 

素敵な価値観を持とう

上記から、なるべく正しい結論を得たいのであれば、(論理的であることは最低限の当然身につけておく条件として)素敵な価値観を醸成しておかなければいけないことがわかります。

価値観は、時とともに、成長とともに、社会とともに変化していくものです。素敵な価値観が持てるように、日々、自分自身を変化させていきたいものです。

 

以上