法律で思ったこと

仕事の関係で、著作権について調べることがありました。他人の書いたものを、自分の書き物の中で使おうとしたときに、それが引用の範疇となるのか、それとも、転載許諾を必要とするものか、を確認したかったのです。その中で、おや?と思うことがありましたので、今回はその内容について述べたいと思います。

前知識として

本題に入る前に、引用と転載について、簡単に触れておこうと思います。

著作物は、その著者の持ち物です。そのため、基本的に、他人が無断で用いることは許されず、自分の文章の中に借りてきたい場合は、著者の許諾(転載許諾)を得る必要があります。

とは言っても、全部が全部について許諾を要するということではなく、日本の法律においては、ある一定の条件を満たせば(引用の範囲であれば)、著者の許諾なく自分の文章の中に使うことができます。

 

引用の条件

引用の条件の一つとして、次が示されています。(著作権法第32条第1項)

 引用は公正な慣行に合致するものであり、かつ、(略)目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

 (太字筆者)

これを読んで、おや?と感じたのです。

 

「公正な慣行」…?

「目的上正当な範囲内」…?

 

循環参照では…?

法律というのは、常識や慣行といったものを皆が同じ尺度で判断できるように明文化したいモノという側面があると思っていました。例えば、殺人は悪いことだけど、胎児を堕ろすことも刑罰の対象となるのか、安楽死はどうなのか。このように、線引きが曖昧になりそうなところを、できるだけ判断がブレないように規定するものだと。

 

引用の例においては、どの程度であれば引用にあたるのか明確に書いておいてほしいところを、その拠り所を「慣行」に戻していて、循環参照しているように見えるのです。

『循環参照だなんて、理論の破綻ではないか!法律のくせに!』ということで、なんだか、納得がいきません。

 

とはいえ、
きっと、同じような例はたくさん見つかるのだと予想しますし、法律を書く人も、こうとしか書きようがなかったのかとは思います。実生活においては、なんでも理論的に展開はできないということなのでしょうね。。。

 

 

以上

製品アンケートの妥当性(ステマがなくても)

 

私はお酒はよく飲む方で、日本酒を一番好むのですが、最近では、体重を気にしてコストパフォーマンス(アルコール量/カロリー)の高いウィスキーを飲むようにしました。

あるお店で、知らない名前のウィスキーを見つけたので、試しに飲んでみることにしました。

 

その名もラXXXXX。

 

一口(にも満たないほんのわずかな量を)のんで止まりました。

 

くさい....。

 

慌てて携帯を取り出し調べてみると、正露丸に例えられているじゃないですか。「まさに!正露丸!」と思いました。これを読んだ後では、正露丸にしか感じません。正直、これが世に出回っていることが不思議でした。「タデ食う虫も好き好き」(お好きな方すみません)だなぁと思ったものです。

 

大変なセンセーショナルなので、アマゾンの評価も調べたところ、星4.5!

 

なるほど、好きな人しか買わないのですね。

 

製品アンケートの妥当性やいかに

ここからが、本記事の本題です。

上記の例のとおり、製品アンケートは、その条件次第で、高評価がつくものかもしれません。

ポイントは、アンケートに答えた人が、それに対して好印象を持っている人に偏っていないかということです。

アンケートを取る人は、この性質をうまく活用して、都合のいい数字を出せるかもしれません。また、アンケート結果を見る人は、騙されないように、アンケート条件をよく確認する必要があるということですね。

 

 

以上

論理的であれば正しいか

このブログでは、一応は、論理的に考察された記事を書くことを目指しています。

免責(言い訳)として、「論理的」に展開された結論の正確性について触れておきます。

話が論理的であっても、その結論は必ず正しいわけではない。

ポイントは3つ

  • 論理展開は公理(系)からスタートする。
  • 仮定が偽なら、結論は結論は真。
  • 生活における公理(系)は、個人(社会)の価値観による場合がある。

この3つにより、話の展開が論理的であっても結論が誤りとなる場合があることがわかります。

 

イマイチな例と思いつつも、例を挙げます。

「24時間戦えますか」なんてフレーズが以前流行りましたが、このフレーズ、現在においては不適切と叩かれていまいそうです。これは、当時が論理的でなかったわけではなく、価値観(公理)が変わったことに他なりません。価値観(公理)が異なれば、そこから導き出される結論は違ってくるのです。つまり、価値観自体が間違っていれば(不適切であれば)、いくら論理的に話を展開しても得られる結論は正しいと言えない場合があるのです。

 

 1990年頃

 仕事を頑張るほど立派(価値観、公理)→24時間戦えますかのフレーズが流行る

 2020年頃

 ライフワークバランス(価値観、公理)→働き方改革

 

素敵な価値観を持とう

上記から、なるべく正しい結論を得たいのであれば、(論理的であることは最低限の当然身につけておく条件として)素敵な価値観を醸成しておかなければいけないことがわかります。

価値観は、時とともに、成長とともに、社会とともに変化していくものです。素敵な価値観が持てるように、日々、自分自身を変化させていきたいものです。

 

以上

免責事項など

堅苦しいことを言うつもりはありませんが、免責事項について表明しておきます。

当ブログの記事は、なるべく正しいことを書く(事実でないことを事実であるかのように記載しない)ように心がけますが、当ブログを真に受けて行動されたことに関する不具合に対して、一切、責任を負いませんので、ご了承ください。

 

それから、当ブログの記事における考察内容を、他所で、さも自分の考えのように使っていただいても文句は言いませんが(むしろ、皆さんの役に立ったということで喜ばしいことですが)、私に迷惑を及ぼすことはやめてください。

 

全ては自己責任ということで、ご理解いただければと思います。

 

以上

開設にあたり

はじめに

皆さんは、過去の自分のメモ帳を見返してみて「あー、そういえば、この時こんなこと考えてたなぁ。」とか、「あれ?この時何を考えたんだっけ?」とか感じた経験ありませんか?私は、多々あります。昔考えていたことが、自分の記憶からなくなっていると思うと、なんだかもったいないような気がします。

ある時、偶然的に、とあるHPを閲覧しました。そこには、日々の記録が長年(数十年単位)に亘り記されていて、「記録を積み重ねると、とんでもない財産になるのだなぁ。」と思い知りました。そして、単純にも、自分もブログを始めようと思い立ったのです。

開設のきっかけはそんな話ですが、どうせなら自分にとってより実りの大きなものにできるようにしたので、最初の記事にあっては、このブログの目的、ルール等を定義しておきます。

 

目的

  • 自分の考えを整理して残し、後の財産にしたい(主)
  • 私の考えたことが、ほかの誰かの参考になれば(副次的で願わくば)
  • 自己の責任のもと、世の中に声を発信することに慣れる(副次的)
  • 自分の考えを整理された文書に起こす練習の場とする(副次的)

 

 記事のスタイル

日々の記録として積み重ねることを目的としますが、日記や随筆のように思ったことをそのまま書くというよりは、ある程度自分の中で整理し、纏める形を取ることを心がけます。

 

想定する読者

考えの整理、体系的、論理的、考察、のようなキーワードを好む人に少しでも参考となる記事をかけたらと思います。ただし、それ以外の人を拒むものではありません。

 

ルール

運営のルール

  • 週に2回以上は、ブログ記事の検討を行う(目標)
  • 記事の投稿は、記事を書いた別の日に推敲した上で行う。

 

記載のルール

  • 敬体を基本とする。
  • 読みやすい記載をこころがける。
  • 一人称は私とする。
  • 意図がない限り、同じ意味で別の単語(表記含む)を用いないようにする。
  • 記事の終わりは、改行を入れ、「以上」を記載する。

 

以上